エンド・オブ・ライフ 佐々涼子著

ノンフィクション作家の佐々涼子氏による、とある診療所の在宅医療を7年間もの取材を重ねて描かれた、終末期医療のリアル。

率直な感想は、文章のプロが書くとやはりその情景が綺麗に思い浮かび内容にどっぷり入りやすいなぁ、と思えたことです。2020年本屋大賞のノンフィクション部門大賞に選ばれているようです。

気がつけば、この本に62カ所マーカーを引いていました。そこから読み取れる大事なメッセージを記録しつつ考えてみたいと思います。

「僕らは、患者さんが主人公の劇の観客ではなく、一緒に舞台に上がりたいんですわ。みんなでにぎやかで楽しいお芝居をするんです」

診療所の渡辺院長の言葉。「末期がん患者の望みを叶える」と一言で言ってしまえば綺麗で簡単だが、実際の現場ではそれほど簡単ではない。そもそも、どのようにしたら患者の望みを聞き出せるのか?患者はプライベートの望みを伝える相手とは信頼関係が構築されていなければ語らないと思う。

医療者が観客になるために聞き出そうとしてもうまくいかない、むしろ一緒に舞台を作って一緒に盛り上がりましょう!という気概が必要なのだと思う。

実際この診療所では、医学的にどれだけ困難な状況でも、医療者がボランティアで患者に付き添い夢舞台を一緒に楽しんでいた。それが可能なのもリーダーのこの一言の覚悟に尽きるのではないだろうか。

本人の意思のほか、家族や、医師、看護師、ヘルパーなど、さまざまな職種の人の感情が交錯するのを見てしまうと、核家族で育った私には、とても無理だろうと思えたのだ。

作者が述べた在宅医療の難しさ。核家族社会にあって、在宅医療を実践するのは容易ではない。昔ならば在宅に帰れば支える家族が居たが、昼間には誰も居ない家庭に帰ること自体のハードルは想像以上に高く、患者本人も在宅医療を望まないケースも増えている。

ではこれからの社会における在宅医療の意義とは?

闘うのではない。根治を願うのでもない。無視するのでもない。がんに感謝しながら、普段はがんを忘れ、日常生活という、僕の『人生』を生きていきたいんです

Stage4の癌を宣告された看護師森山の言葉。癌に人生を奪われず、共存し自分の一部として生きていく、力強い言葉です。

それは残された時間じゃないんですよ。それは、もともとの僕らの持ち時間なんですよ。

進行癌を診断した際に、「残された時間を有意義に過ごせるようにサポートさせていただきます」患者に声かけしたことを思い出した。「残された時間」と表現するのが自然と思っていた。

でもこうやって健康の状態で生活している自分にも「残された時間」がある。でもやはりそれはそれぞれの「持ち時間」である。

「残された時間」と表現すると何か必死にやらなければならないと感じるが、「持ち時間」と考えると自由を発想される、死までの期限(時間)を宣告されると必死に『残された時間」と考えてしまい、実は自然に、当たり前にある幸せを感じにくくなるのではないか。

残された時間をあがくのではなく、それぞれの持ち時間を全うする生き方を焦らず考えていきたい。こうやって書いている今も、自分の持ち時間を使っている行為なのである。

元開業医のところへ往診に行けば古い聴診器が、作家の家に往診に行けばうずたかく積まれた文献が、その人の代わりに過去を語り始める。  家は、患者の一番良かった日々を知っている。

訪問診療、在宅医療ってやっぱりいいなぁ、と思えた一文。訪問診療で患者の自宅をまわっていると、それぞれの部屋にそれぞれの物語がある。患者の病気だけにしか集中できない病院という冷たい箱とは全く違う世界だ。核家族が進む中で、介護者不足により在宅医療は年々難しくなってきている。しかし、この文章こそ人を在宅で診ることの素晴らしさを表しているのではないだろうか、物理的な便利さよりも精神的な温かさが在宅にはある、安心という要素も医療には不可欠なのである。

助かるための選択肢は増えたが、それゆえに、選択をすることが過酷さを増している。私たちはあきらめが悪くなっている。どこまで西洋医学にすがったらいいのか、私たち人間にはわからない。昔なら神や天命に委ねた領域だ。

西洋医学は日々進歩している。とは言うものの、激しい戦いの末、若くして癌で亡くなる方も沢山いる。助かるための選択肢が地獄への入り口だったりするのが現状である。「この水で癌は治る」というような合ってはならないようなおかしな商売があったりする。そして西洋医学では克服困難な癌患者は選択という渦に飲み込まれ、家族も飲み込まれ、混沌を生み出している。どこかで、委ねるという感覚が必要なのだろう。西洋医学だけが医学と考える風潮もある意味おかしな状況なのだと思う。そこにはやはり対話が必要なのではないかな、と思う。

亡くなりゆく人は、遺される人の人生に影響を与える。彼らは、我々の人生が有限であることを教え、どう生きるべきなのかを考えさせてくれる。死は、遺された者へ幸福に生きるためのヒントを与える。亡くなりゆく人がこの世に置いていくのは悲嘆だけではない。幸福もまた置いていくのだ。

以前私は、予後数ヶ月以内の末期患者に、「あなたの死という体験を家族全員で小学生のお孫さんも含めて経験してください。生きるとは何か、死とは何か、をあなたの体でつたえてください」と説明して在宅医療を始めたことを思い出した。亡くなるという悲しい事実が希望になることだってある。残された人の死を悲しむだけではなく、その人が残した幸せを感じ取り祝福という死があってもいいのだな、と思った。

死亡確認直後に全員で泣くのもいいが、拍手で見送るという経験を私も経験してみたい、と思った。難しく、そして宗教的に捉えるのではなく、死に屈することなく生きるとは何かを感じさせられる素晴らしい本だった。